伝統的七夕ライトダウン2012キャンペーン

伝統的七夕にまつわるお話

このページでは伝統的七夕をより楽しんでもらうため、 七夕にちなんださまざまな話題を週替わりでお届けします。

本コーナーのテキストについては、伝統的七夕ライトダウンを広める目的にのみ自由にお使いいただけます。 画像等につきましては、別途お問い合わせください。


第7回 伝統的七夕の星の楽しみ方(2012年8月22日)

都会の夜空に輝く織姫・彦星

いよいよ8月24日に迫った、伝統的七夕の日。 ただボーッと空を見上げただけでは、多くの人はすぐに飽きてしまうかもしれません。 今回は、伝統的七夕をより楽しめる方法をご紹介しましょう。

七夕の主役は織姫と彦星です。 織姫は「こと座のベガ」、彦星は「わし座のアルタイル」です。 伝統的七夕の日の夜9時には、二つの星は天頂(頭の真上)近くにあります。 立ったままの姿勢で見上げるには、首が痛くなる角度です。 リクライニングチェアなどあれば最高です。

部屋や玄関の明かりを消し、しばらく夜空に目を慣らせば、 織姫と彦星は自然と目に入るでしょう。 南を向いて空を見上げ、およそ60度の高さに彦星が輝いています。

角度の目安には、体の物差しを使いましょう。 親指を上にしてにぎりこぶしを作り、その腕をピンと伸ばし、 目の高さに持ってきます。この「グー」ひとつ分が約10度になります。 60度なら、地平線からこぶしを6個重ねたあたりです。

次に織姫ですが、同じく南を向いた場合、 彦星から右斜め上の方に視線をずらせば見つかります。

さあここで、伝統的七夕ですから、ひとひねり加えましょう。 もし、家にタライや桶、小鉢などがあれば、 そこに水を張って空の見える場所に置いてみます。 周りに強い明かりがない場所なら、かすかに織姫と彦星が水面に映って見えるかもしれません。

かつては、七夕の日にタライに映った星明かりの中で針に糸を通すと、 裁縫が上達するという言い伝えもあったようです。

また伝統的七夕の日は必ず半月状の月が輝いていますが、 天の川を楽しむなら月が沈んだ後がおすすめ。 午後11時半を回ると、空が一層暗くなります。 その時刻、織姫と彦星は西の空の高さ約50度の付近に輝き、 向かって左に彦星、右に織姫が見え、二つの星が夜空でデートを楽しんでいるようです。 そしてその間に、淡い光の天の川が見えるでしょう。

最後に、伝統的七夕の日の夕食は、さっぱりと素麺がよいでしょう。 古くから宮中などでは、七夕に索餅(さくべい)というお菓子を食べて 厄除けをする風習があったそうです。 索餅は素麺のもとになった食べ物とも言われるので、七夕に素麺を食べて厄払いも忘れずに。


第6回 なぜ伝統的七夕に星を楽しむの?(2012年8月15日)

夏の夜空の天の川

七夕が7月7日に終わってしまったと思ったら大間違いです。

中国から日本に七夕が伝わって1,200年以上がたつと言われます。 その歴史の大半は、「太陰太陽暦」というカレンダーが使われていました。 この暦は、月の満ち欠けの周期を1か月とし、 そこに太陽の動きを加味して作られたものです。 国立天文台では、この太陰太陽暦の7月7日に近い日を計算し「伝統的七夕の日」と呼んでいます。

今年の伝統的七夕の日は8月24日です。 では、この日に星を見上げると、何かよいことがあるのでしょうか。 その理由を少しご紹介しましょう。

そもそも星を見るには、空が晴れなければ話になりません。 現在のカレンダーの7月7日ごろは、日本の多くの地域では梅雨の真っ最中。 当然、星を見るには適していない時期といえます。 一方で、伝統的七夕の日は梅雨が明け、比較的天候も安定した時期にあたり、 梅雨の時期と比べると、星を楽しむには遙かによい条件と言えます。

ロマンティックに星を見上げることも大切です。 伝統的七夕の日は、舟のような形をした半月状の月で、 毎年ほぼ同じ形です。月の形をもとにした暦では、 その月の1日が新月で、7日は新月から六日目にあたります。 新月から3日目の月を「三日月」と呼ぶように、 毎月7日は「六日月」になり、月の形が決まるのです。 六日目の月は、深夜になると西の空に沈み、 その後は天の川とともに満天の星が頭上に広がります。 星と月の共演が存分に楽しめるのです。

さらに、七夕のお話にひっかけて、織姫が彦星のもとへと向かう際、 舟の形をした月に乗って天の川を渡る、などと想像すると風情があります。

そして、もう一つ大切な意味があります。 伝統的七夕の日にライトダウンして星を見上げることは、 古来からの七夕に思いを馳せると同時に、 人工の光に満ちた今の夜空の現状を再確認することにもつながるでしょう。

古の人々が見た七夕の星空はどんなものだったのか、 そしてそれに一歩でも近づけるように自分ができること。 明かりのムダを省いて星と街の共存ができれば最高だと思いませんか。

さあみんなで

「つながろう七夕 よみがえれ天の川」


第5回 七夕いろいろ(2012年8月8日)

七夕人形

ひとくちに七夕といっても日本各地には様々な風習や言い伝えがあります。 昔から日本で親しまれてきた、いろいろな七夕を紹介しましょう。

七夕に縁のある神社や地名は少なくありません。 一例を挙げれば、大阪府交野(かたの)市にある機物(はたもの)神社には、 織姫に重ねられる「天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)」がまつられています。 そして、市内を流れる天野川(あまのがわ)には「逢合橋(あいあいばし)」という 橋がかかっています。 さらに橋の対岸にある枚方市の観音山公園には、彦星にたとえられる「牽牛石」があり、 七夕伝説のキャストが勢揃いといったところです。 逢合橋は、鵲(かささぎ)のかけた橋とでも言えるでしょう。 もともとは「甘野川」と呼ばれた川が、平安時代に天空の「天の川」にたとえられ、 この川の素敵な名前が定着したのだとか。

長野県松本市では、七夕の日になると軒先に「七夕人形」を吊す風習があります。 七夕人形は赤ちゃんが生まれた家に贈られ、赤ちゃんの健やかな成長を祈ると同時に、 厄を払う意味もあるそうです。 これは、七夕様に着物をお貸しすると、着物が増えたり、 子宝に恵まれるとのいわれからきているそうです。

七夕を迎える頃は、秋の収穫にむけた準備の季節。 また、ご先祖さまを迎えるお盆前の大切な時期でもあります。 そのため七夕とお盆には深い関係があります。 そのためか、七夕の日に、お盆の飾りのような野菜で作った馬を供えたり、 藁(わら)の馬を川に流したりする風習のある地方もあります。

最後に、古の歌人の和歌を一首。

「おほかたを思えばゆかし天の川 けふの逢瀬はうらやまれけり」 紫式部

世の中では、はかないとされる織姫と彦星の天の川での逢瀬も、 今日の私にはうらやましく思えます。というような意味でしょうか。

今も昔も、夜空を見上げて思いを馳せるところは変わっていないのかもしれません。


第4回 七夕飾りにこめられた想い(2012年8月1日)

紙衣と投網の笹飾り

「笹の葉さらさら…♪」と歌にもあるように、七夕といえば笹飾りです。

そこには、短冊や吹き流し、色紙でつくられた網など、 色とりどりの飾りが吊されますが、その1つ1つには意味があります。 私たちが何気なく目にする七夕飾りに込められた想いはどんなものだったのでしょうか。

笹飾りは、江戸時代から一般に広まったと言われています。

そもそも、笹でなければならない理由もちゃんとあります。 古くから笹は邪気を祓(はら)う力がある植物だと考えられてきました。 さらに、夜空にまっすぐに伸びる笹は、神様やご先祖様が地上に降りてくる 目印としての役割もあったそうです。

笹の一番上に飾るのは「紙衣」。 これは「棚機津女(たなばたつめ、第3回「日本古来の七夕」を参照)」が 神様に捧げた着物の意味があります。 病気や災害を除く身代わりや、裁縫などの上達を願った飾りです。

そして、私たちに一番なじみの深い「短冊」。

もともとは、サトイモの葉にたまった夜露で墨をこすり、 梶の葉に歌をしたためていましたが、いつしか紙に願い事を書くようになりました。

吹流しは、乞巧奠(きこうでん、第3回「日本古来の七夕」を参照)で 供えられた五色の織り糸が原型で、長寿や機織の上達を願った飾りです。 このほかにも、長寿の願いが込められた「折鶴」や、 食べ物に不自由しないよう豊漁や豊作を願った「投網」、 節約、貯蓄の心を養うことを願った「巾着」などもあります。

そして、いかにも日本らしいのは「屑籠(くずかご)」です。 これは、飾りを作った後の紙くずを入れて、清潔と節約の大切さを養う飾りなのだそうです。

8月24日は伝統的七夕の日です。 その夜は、自分なりの願いを込めた小さな笹飾りを作って、 織姫と彦星のいる星空を見上げてみてください。


第3回 日本古来の七夕(2012年7月25日)

笹飾り

私たちは「七夕」と書いて「たなばた」と当たり前のように読んでいます。

もともとは、7月7日の夕方を意味する「七夕」。 本来なら「しちせき」と読むところなのに なぜ「たなばた」と読まれるようになったのでしょうか。

日本には古来から「棚機津女(たなばたつめ)」という信仰がありました。 それによれば、7月7日に集落の中から選ばれた娘が棚機津女として、 水辺に設けられた機家(はたや)で神に捧げる衣を織ります。 衣を受け取った神は集落に豊かな実りを与え、 穢(けが)れを持って立ち去るというものです。

この、棚機津女が布を織っていたのは機織り機ですが、 棚状の構造になった機織り機を「棚機(たなばた)」と呼んでいたそうです。 「七夕」を「たなばた」と読むようになったのは、このためなのだとか。

また七夕は、お盆の風習とも深い関係があります。 7月15日をお盆とし、7月7日は精霊を迎える始まりの日として「七日盆」と呼んでいたそうです。

この日は、先祖の精霊を迎えるために精霊棚(しょうりょうだな)と その棚に安置する幡(ばん)を用意する日でもありました。 この「棚」と「幡」から「棚幡(たなばた)」となり、 やがて七夕(たなばた)になったという説もあります。

現在の七夕は、このような日本古来の信仰や伝統と、 奈良時代に中国から日本に伝わった七夕行事「乞巧奠(きこうでん)」が 混ざり合ってできたと言われています。 乞巧奠は宮中や貴族などの一部で行われ、裁縫の上達を願い、 五色の布や糸の他、色とりどりのお供え物をしたそうです。 それが江戸時代になって寺子屋が登場するころ、七夕行事は大衆に広がります。 五色の布や糸が短冊に変わり、そこに習い事の上達などの願いを書き、 笹に飾って軒先に立てるようになりました。 これはまさに、今私たちが行っている七夕のスタイルそっくりです。

このように日本の伝統と密接なつながりをもつ七夕。 そのルーツは中国ですが、育ちは日本ということになるでしょう。


第2回 中国から伝わった七夕(2012年7月18日)

乞巧奠(きこうでん)の祭壇

まずは、私たちがよく知る七夕伝説をここで簡単に紹介しましょう。

『中国の最高神ともされる天帝(てんてい)の娘は織姫と呼ばれ、 いつも機織(はたおり)に励んでいました。 天帝は、仕事ばかりで友人もいない織姫を案じ、 天の川の対岸に住む美しい牛飼いの彦星に引き合わせました。 やがて二人は結婚したのですが、それからの二人は遊んでばかり。 それを見た天帝は怒り、再び二人を天の川の両岸に引き離してしまいました。 その後、悲しみのあまり泣き暮らす織姫を見た天帝は、 一年に一度、七月七日の七夕の夜だけ、 二人に逢うことを許しました。 七夕の日になると、どこからともなく鵲(かささぎ)という鳥が大群で現れ、 天の川に見事な橋をかけます。 それを渡って、織姫が彦星のもとへ逢いに行くのです。 ところが七夕の日に雨が降ると鵲がうまく飛べず、 二人が逢えなくなってしまいます。 そこで七夕の日の晴天を願ったのが、七夕のはじまりと言われています。』

七夕伝説に登場する織姫や彦星にあたる呼び名は、 紀元前にまとめられた中国最古の詩集「詩経(しきょう)」に登場します。

ちなみに、中国では織姫を「織女(しょくじょ)」、 彦星を「牽牛(けんぎゅう)」と呼びます。

後の6世紀ごろの詩集「文選(もんぜん)」には、 二つの星が向かい合ったままで結ばれない悲恋を描いた詩が登場します。 また同じ年代に著された「荊楚歳時記(けいそさいじき)」には、 七月七日を牽牛と織女が逢う夜とし、 鵲(かささぎ)の群れが天の川に翼の橋をつくった話とともに、 乞巧節という年中行事が説明されています。

乞巧節では、機織りの上手な織女にあやかり、 女性達が針に五色の糸を通し、 庭に酒や肴、瓜を供えて裁縫の上達を願ったことが記されています。

奈良時代、中国から日本に伝わった七夕行事「乞巧奠(きこうでん)」は、 裁縫の上達を願う行事で、乞巧節と共通するものがあります。

公家の伝統的な年中行事や歌会などを今日まで受け継いでいる京都の冷泉家では、 乞巧奠が今も行われています。 その祭壇「星の座」には、五色の布や糸の他、色とりどりのお供え物が並ぶそうです。


第1回 伝統的七夕とは(2012年7月11日)

2012湘南ひらつか七夕まつり

七夕のルーツは中国で、日本に入ってきたのは奈良時代といわれます。 中国宮廷行事の「乞巧奠(きこうでん)」が公家を中心に根付き、 以降、江戸時代になると大衆にも七夕の行事が広まります。 この頃から無病息災、商売繁盛をはじめ、工芸・芸能などの上達を願う笹飾りを行うようになったようです。 現在は、願い事の短冊を吊す笹飾りが七夕祭りの主役として定着しています。

さて、七夕の行事が行われるようになった時代には、月の満ち欠けの周期を1か月とし、 そこに太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」という暦が使われていました。 ですから、本来の七夕の日は当時の使われていた暦の7月7日ということになります。 しかし現在では「グレゴリオ暦」という、太陽の動きをもとにした暦が使われているため、 同じ7月7日といってもズレが生じてしまいます。

そこで国立天文台では、「伝統的七夕」の日を以前使われていた暦をもとに定義し、 星空を楽しむことを呼びかけています。 今年の伝統的七夕の日は8月24日(金)。 上弦の月明かりの夜を灯りを消して過ごし、みんなで夜空を眺めてみませんか?