伝統的七夕とは

七夕の起源

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 七 夕は、3 月3日の桃の節句や5月5日の菖蒲の節句などと並ぶ、節句のひとつです。七夕にちなんだお話としては、織女(しょくじょ、こと座のベガ)と牽牛(けんぎゅう、わし座のアルタイル)が年に一度、7月7日の再会を待ちわびるというものが有名です。この話は、もともと中国から伝わったもので、紀元6世紀ごろにはその原型ができたと言われています。
 「織女」「牽牛」の 名が最初に登場するのは、春秋戦国時代の『詩経』の小雅で、七夕伝説の原型は『文選』に収められた、古詩十九編に登場するとも言われます。

 

私たちのよく知る七夕伝説

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 天帝の娘である織女は働き者で、彼女の織る布はとても美しく見事で、神様たちの着物に使われていました。天帝は、仕事ばかりして遊ぶこともしない織女を、天の川の対岸に住む、若く美しい牛飼いの青年、牽牛に引き合わせました。すると二人は意気投合し、やがて結婚しました。ところが、夫婦になった二人は遊んでばかり。それを見た天帝は怒り、二人を再び天の川の両岸に引き離してしまいました。
 その後、仕事も手につかず悲しみのあまり泣き暮らす織女を見た天帝は、さすが に哀れに思い、一年に一度、七月七日の夜に二人が逢うことを許したのです。

   

日本の七夕

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 日本の七夕の風習は、奈良時代に中国から伝わった「乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)」と日本古来の「棚機津女(たなばたつめ)信仰」が結びついて形作られたといわれます。また、お盆の風習にも関係が深いとされます。中でも、奈良時代に宮中で始まったとされる乞巧奠は、「巧み」を「乞う」という意味を持っ ています。七夕の織女が機織りの巧みさを授けてくれるようにと星に願い、竿や針に五色の糸をかけ、祭壇には季節の野菜などを供えたといわれています。
 さらに平安時代には貴族たちが、乞巧奠の習わしに従って、梶の葉に詩歌を書いて星にささげたこともあったようです。それらがやがて、女性の手仕事や針仕事、芸事などの上達を願うという風習つながったといわれます。
 七夕の風習は江戸時代に入ると、五色の短冊に詩歌を書き、笹飾りを行うようになります。そのころから七夕が一般にも浸透していったとされています。

 

伝統的七夕とは

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 中国から伝わり、日本で独自の発展を遂げてきた七夕の行事が行われたのは、もともと太陰太陽暦の7月7日でした。この日は半月状の月が浮かび、織姫星(ベガ)や彦星(アルタイル)も空高く昇っていて、織姫が月の舟に乗り彦星に逢いにいくなどというロマンティックな想像もできます。また、深夜に月が沈んだ後は天の川も見られます。
 しかし、現在のカレンダーの7月7日では、毎年月の形も違い、さらに梅雨の最中で晴天率も悪く、そもそも星祭りには向いていないのです。そこで、国立天文台では「伝統的七夕」の日を、以前使われていた暦をもとに 定義し、星空を楽しむことを呼びかけています。「伝統的七夕」の日は、二十四節気の処暑を含む日か、それよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間 を含む日から数えて7日目です。つまり、今年(2011年)の伝統的七夕は8月6日(土)になります。また、8月6日(土)~8日(月)には仙台七夕まつりが「復興と鎮魂」をテーマに開催されます。

 ぜひ、灯りを消して夏の夜に織姫と彦星の姿を探してみてください!

   
© 2012 - 伝統的七夕ライトダウン2011推進委員会